はじめてのものに  立原道造

ささやかな地異〔ちい〕は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢〔こずゑ〕に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭〔もた〕れて語りあつた (その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

——人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾〔が〕を追ふ手つきを あれは蛾を
把〔とら〕へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

 

 2010年最初に取り上げるのは立原道造(1914/大正3年—1939/昭和14年)の『萱草〔わすれぐさ〕に寄す』(1937年)である。『萱草に寄す』といえば、この冒頭の詩から読む者を惹きつけるのだが、この十四行詩をゆっくりと読んでいると、道造がソネットの完成に並々ならぬ力を傾けたことを思い知らされる。ここでは、とりわけ第三連から第四連にかけての詩句の運びに感得されるのだが、この、方法への、形式への、「人工」へのといってもいい、傾きは、繰り返し考えることを誘うし、それを考えることは、そのまま詩の現在を考えることにつながるだろう。(10.1.18 文責・岡田)